尾瀬散策

「尾瀬はるかにも」より


今年の初め、白籏史郎さんが書かれた「尾瀬はるかにも」(クロスロード選書)を偶然手に入れた。
1984年10月25日初版第一刷発行と書かれいるので、四半世紀、25年前の本である。
 
  クロスロード選書とは
      自然に魅せられ、
      野生に憑かれた人たちの体験を基調とした、
      夢とロマンの人間復興シリーズ
 
白籏史郎さんの「南アルプス」の写真集は、結婚祝いで頂いており、
写真という表現媒体に魅力を感じる切っ掛けを改めて作ってくれた一冊であった。
その氏が、尾瀬に南アルプスとはまた違う魅力を感じ、写真集を何冊も出されていることに、
驚きと「なぜ」という疑問を持ってしまった。
 
ちょうど今頃の尾瀬を書かれた部分を抜粋させて頂いた。
 
◎尾瀬の四季 四季のうつろい より抜粋
 
 六月、冬眠からさめたミズバショウは、尾瀬沼や、尾瀬ケ原のいたるところに、その清爽な姿を見せる。
朝もやの中にポッと灯をともしたように浮かんでいるミズバショウの白は、見る人をして思わず夢見心地にさそうだろう。
あざやかな陽に照り映えるミズバショウも美しいが、わたしはやはりこうした、まだ、誰の眼にもふれない朝の開花や、樹林の下生え、水のほとりにひっそり咲く風情を心から愛する。
 
 自分がミズバショウの花とともに、お伽噺の中の一人物になったような気がする、こうした朝のひとときは、まったくこの時季のものだけであろう。
それは初夏という、一年の中でもとりわけかぐわしい季節の持つ一種の催眠力が作用するからであろうが・・・・・そして、それとともに自分の幼かった日々のことをフッと想い出させるのは霧の魔法である。
茫漠として万物を覆いかくす霧、草原や樹林を漏らして音もなく移動する霧、それは、強烈な夏の太陽をさえ瞬時にさえぎり、もののけの跳梁する世界と変じさせることもしばしばだ。
霧はいつもわたしと対象との間に介在して、ものごとを明瞭に見せようとしない。
 
 その霧に心惹かれるのは、その漠とした、とらえどころのなさのゆえか、それとも、その漠として中に、自分の求める何かがある、と信ずるからなのであろうか?
 
 そとて、今日にもまた湿原に朝霧が立ちこめる。
明るい光は上空に満ち満ちてはいても、ここだけは深海のように薄暗い。
たちまちのうちに、草木も、木道も、立ちつくすわたしもびっしょりと濡れる。
 
 数刻・・・・・。
 
 襲来したときとおなじく、霧はすみやかに去る。
その薄れゆく霧の中に、わたしはいつも、自分の求める、何か?を垣間見るのである。
 

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